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大学生

NAISTを受けてきた

奈良先端科学技術大学院大学NAIST情報科学区分の東京入試を受けてきた。とりあえず感触はあまりよろしくない。

受験の流れを記していきます。

願書提出(6/15)

 2020年度博士前期課程(春学期)の願書を、6/15に郵送した。小論文は、構想2週間、執筆3日、再執筆3日、という感じ。研究室の先生とM2の先輩に添削して頂いた。ありがとうございました。

郵送に際し、指定された封筒を買いそろえるのに苦労した。NAISTからの受験票郵送用に長形3号封筒を同封して、角2号封筒に入れて書留速達で郵送。郵便の仕組みをまったく知らなかったので、郵便局で「これを書留速達で送れって書いてありました…」と自信なさげに局員に言った。

受験勉強(6月~7月)

数学

受験科目は線形代数微積。併願した大学院でもこれを使うので、その勉強もかねて1か月ずっと解いていた。使った教科書は大学の授業で使っていたやつ。他の参考書は見たことないので、これがオススメというつもりはない。 

 

基本演習 線形代数

基本演習 線形代数

 

 

 

入門微分積分

入門微分積分

  • 作者:三宅 敏恒
  • 発売日: 1992/12/01
  • メディア: 単行本
 

英語

英語はTOEIC提出。NAISTは他の大学院と違って、IPテストの結果も提出できる。大学で強制的に受けさせられたIPテストが700点だったので、それを提出した。

面接対策

面接対策としては、聞かれそうなことについて考えて、小論文の内容について詳しく調べた。聞かれそうなことはこんな感じ。

  • 小論文の内容の技術面について
  • プログラミングについて
  • 将来は何になりたい?
  • 何を作ったことある?
  • 英語は得意?
  • 研究分野の有名な学会、論文誌は?

入試当日(7/8)

受付

品川駅から徒歩数分のビルが受験会場だった。9階で降りたら、そこは情報科学区分以外の受付で、情報科学区分は10階だった。

受付を済ますと、説明があり、面接開始まで大部屋で待機。30~40分ほど待ったので、持ってきていた過去問集の紙束からいくつか解いてウォーミングアップしていた。携帯は見れなかった。

 面接(数学)

まずは数学の閲覧室に入って、解くことになる問題を閲覧した。線形代数は、2×2行列の多項式を求める問題と、rank3の連立方程式の解の存在条件を求める問題。解析は、2次/3次の多項式積分と、マクローリン展開についての問題。

閲覧の10分で、行列2問は行けそうだと思った。ただ、解析がどちらも答えが出ない。積分は係数がバカでかくなってしまい、これでいいのか検算していたら時間になってしまった。

面接室に入る。受験番号と名前を言い、2人の面接官の前で解き始めた。

「まず解析から解きます」と、2×2行列の方を解き始めた。途中で係数を書き間違えていて、面接官に指摘された。多項式÷多項式の計算をすることになって、すごい計算量にテンパってしまい、計算ミスを連発してしまった。時間もあとどれくらいあるのか把握しておらず、焦っていて答えが出せなかった。

「あとはここの答えに代入して…」などとお茶を濁して解析に移らざるをえなかった。今思えばもっと簡単な計算方法はあったし、そもそもrank3の方に取り組んだ方が良かった。

「次に解析の…」と言いかけて、どちらを解くか決めていなかったことに気づく。そして、マクローリン展開の方を選んだ。しかし、剰余項の形が何か間違っていたのだろうか、面接官がとても微妙そうな顔だった。問題の内容は、マクローリン展開したあとに、剰余項の評価だったのだが、マクローリン展開で詰まってしまい、そこまで至らずに終了してしまった。

絶対に解き方の分かっていた積分の方にするべきだった。

今回の教訓は、計算量の少なそうな問題を選ぶ最後まで解き方の分かる問題を選ぶ、ということであった。どう対策すればよかったんだろう…

 面接(専門分野)

数学が解けなかったことを内心引きずりつつ、面接へ。3分間で小論文のプレゼンテーションをした後、志望研究室の先生にいろいろ聞かれる。

というようなことを聞かれた。NAISTに来たことがない、という点について、先生方に渋い顔をされていたような気がする。たぶん、志望動機が浅いと思われた。大丈夫だろうか…。

まとめ

NAISTの配点は、小論文50、英語30、数学30、面接90の計200点となっている。面接ができたかどうかなんて、そんなの分からないよ…。もっといい受け答えできたなー、と悶々としている。就活している同級生のストレスの片鱗を味わった。これはキツイな…。

ということで、受けた感想としては、「できたかどうかは全く分からないけど、もう少し上手くやれたことは確か」というなんとも情けないものになってしまった。

対戦ありがとうございました。

キングコング西野のスピーチについての一考

Twitterを賑わせている話題がこちら。 

 すごいRT数である。この人のやることの大体が、Twitterで何か言いたい人たちの目に留まって賛否両論合戦となるが、今回のもしっかり例に漏れなかったようだ。

Twitterで回ってくる前から、なぜかYouTubeのおすすめに上がってきていたので、この動画の存在は知っていた。しかし、サムネイルが胡散臭かったので、視聴することはなかった。

サムネイルのスクリーンショットを見てほしい。いや、「伝説のスピーチ」ってまだ伝説になるかも分からないのによく書けるな。これが近畿大学の公式として上がっているのが非常に胡散臭く感じた。最初は転載かと思った。

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出典:https://www.youtube.com/watch?v=dJT_L6d_fU8

話題になっているのはこの一節である。

「時計の針って面白くて、長針と短針が約1時間ごとに重なるんです。1時5分頃に重なって、2時10分頃に重なって…毎時重なるんですけど、でも、11時台だけは重ならないんです。
短針が逃げきっちゃう。
二つの針が再び重なるのは12時。
 
鐘が鳴る時です。
 
何が言いたいかと言うと、『鐘が鳴る前は報われない時間がありますよ』です。
 
僕にもありましたし、皆さんにも必ずあります。
人生における11時台が」

【近畿大学卒業式】キンコン西野 伝説のスピーチ全文③ | 西野亮廣ブログ Powered by Ameba

一見すごく深い含蓄がありそうな言葉で、YouTubeのコメントやTwitterでも、「感動した」「いいこと言うなあ」という感想が多い一方で、「マルチの語り口」「意味が分からない」などという感想も回ってきた。僕のタイムラインは後者の方が多く観測された。

 さて、この「時計理論」を見て思い出したものがある。それは、ゴルゴ松本の「魂の授業」である。これは、少年院の少年たちを相手に、ゴルゴ松本が漢字についての熱い講義をするというものだ。

www.youtube.com  『口からプラスとマイナスの言葉を「吐」くな、プラスのことだけを言えば夢は「叶」う。』

確かにめちゃくちゃうまいことを言えている感はある。動画を観ていると、語りの上手さもあり、なんだか本当に夢が叶いそうな気分になってきてしまうまである。

「時計理論」とこの漢字の話、どちらも論理構造がよく似ている。

 

まず、「言われてみると確かにそうだな」と思わせるような事実を紹介する。

次に、「成功の秘訣」や「普遍的な事実」がそこに隠れていると主張する。

 

論理構造は以上である。昔から、このようなたとえ話はすぐ名言になる。

 

~人という字は人と人とが支えあってできている~

~矢は3本まとめてでは折れない。お前たちも3人支えあって生きなさい~

 

このような、ただの喩え話にいちいち「意味が分からない」だの「騙されるな」だの言うのはナンセンスじゃないかと思う。まあ、かといって、感動するのもバカらしい。Twitterでこの話題に触れている人が多いのは、感動した側と感動しない側がきれいに二分されているからだろう。

2つを分けるものは、情報を鵜呑みにしてしまうかどうか、だったり、常に主張に対して批判的かどうか、というような姿勢だろう。そして、批判的な、「感動しないサイド」の方が声がでかいため、この話題が賛否両論あるように見えているのだ。

面白いのは、このような批判が、ゴルゴ松本の「魂の授業」にはあまりないことだ。

これらとキングコング西野の違いは、おそらく話の対象者にあるのだと思う。しょせん、喩え話は、子供だましなのである。ゴルゴ松本も、金八先生も、毛利元就も、子供に向けて話をしているのである。

一方、キングコング西野は、社会に出る大学4年生(=大人)に向けて、同等のレベルの喩え話をしている。それが、Twitterの「感動しないサイド」にとって(無意識に)引っかかっていて、まるで「子供だましの話を大人の自分たちにされた」かのような反応が出てきているのではないかと思う。

 

それでも、喩え話というのは一見すると本当に含蓄がありそうで、理性で分かっていても感動を覚えてしまうのは、人の心のバグを突かれているみたいでじつに面白い。

 

 

物を書くって難しいよねって話

ブログを書こうと思ったら、文章が続かなくて結局投稿できなかった。

 

とりあえず下書きに置いて、翌日完成させようと思っていた。

 

気が付くと1週間放置していて、書きたかったことが頭の中から消えていた。

 

こんなことを繰り返してしまうくらい、ひとつの記事を完成させるのが難しいことだとは知らなかった。なんなら今もよく分かっていない。なんでただの雑感が完成しないのだろう。昔の日直日誌にはずっとどうでもいいことをすらすらと書けていたはずなのに。

文字数に縛りがないから、期限がないから、誰が見てるか分からないから、実は書きたいことなんてないから、なんて、完成しない理由を見出せばキリがない。そして、キリがないのだから、完成しない理由を一つずつ見つけていって潰していくというモチベーションの上げ方は無効になってしまう。

だから、できない理由ではなくて、やる理由とやらざるを得ない環境を作った方が早い。人間がサークルとか部活に入ったり、勉強会を開いたりする理由はそんなところにあるのだろう。

これまでは、「書きたいことがある」という理由で何か思ったことを書こうとしていたのだが、完成しないとそのまま書きたいことが消えてしまうということにようやく気づいた。

しかし、今日、ふと書く理由を見つけた。「朝起きてから、脳が起動するまでのアップ」のために書いてみようと。それで、今これを書いている。

最近気づいたのだが、自分はどうやら起きてから2時間くらいしないと脳も身体も起動しないらしい。起きて2時間以内は、人と会話することもままならず、運動もパフォーマンスが不十分になる。しかし、文字を読むこと、音を聞くこと、テレビを観ることはできる。だとしたら、適当に文章も書けるんじゃないかと思った。文章が書けるんだったら、脳が起動するまでの2時間を今よりも有効活用できそうである。

 

こんな記事のことが頭に残っていたから、朝にやるという発想に至ったのだろう。

脳科学者が勧める「朝時間」の使い方 | THE21オンライン

 

朝は脳がもっともよく働く時間らしい。じつに実感のないことである。朝起きて2時間は人と会話するのもつらいほどに脳が働かないのに。

けれど、もしかしたら「文章を書く」という作業については、朝が適した時間であるという可能性はある。その可能性に懸けて、「朝に文章を書く」ということを習慣にしていけたら、脳がアップをしている時間帯を有効活用していけそうな気がしている。

 

さて、書くための理由を見つけたら記事も完成するんじゃないかという視点から、「脳のアップ」という理由を見出したわけだが、実はもう一つ理由らしきものはある。「らしき」というのは、これが書く理由に足るかは、やってみないと分からないからである。

それは、「アウトプットを残す」ということそのものである。

大学4年になると、社会人になるための準備が始まる。そして、自分が行くであろう社会は、ITエンジニアが技術力で殴り合っているような場所であるはずである。殴り合う武器は、技術力だけではない。英語力、数学力、ひいては人間力などという定義の曖昧なものでさえ、武器にしていくような世界なのだろう。ツイッターでその界隈の話を垣間見てきたことによる推測にすぎないのだが。

そんな世界では、「何をしたか」「何ができるか」がわりと重要になる。エントリーシートに、「作ったもの」を記入する欄があるあたり、きっと実績とか経験が一番ものをいうのだろう。

だから、「アウトプットを残す」ということが、仕事に直結していきそうな気配があるのだ。

もちろん、こんな雑感ではなく、技術に関することを書かなければ意味ないが、まずは書く習慣を身につけなければいけないと思う。

はたして「アウトプットを残す」なんてことが、記事を書いて完成させてそれを続けるための理由になるかどうかは分からないけれど。

 

とりあえず、この記事は一気に書いて完成させられそうである。これが朝だからなのか、記事を書く理由が増えたからなのか、4月1日だからなのか、完成させられた理由は分からない。「やる理由とやらざるを得ない環境を作った方が早い」とか言ってたのが正しいことなのかは、あと1ヶ月くらい様子を見てから判断してみたいと思う。

 

まあ、文章を綴るスピードは深夜より早い気がする。

「低学歴の世界」という価値観

夢枕獏の「陰陽師」や、「沙門空海唐の国にて鬼と宴す」には、しばしばしゅという考え方が出てくる。

物事は、名付けることによってはじめて存在できる。神も、鬼も、人も、自然も、世界も、名付けることではじめてその姿を認められる。呪とは、そういう概念のことをいう。

たとえば、Twitterを熱心にやる人をツイッタラーと名付ける、趣味に熱中している人々をオタクと呼ぶ、これも一種の呪である。

 

何が言いたいのかというと、どんな概念でも名付けられることで初めてその姿を世界に顕現するのだ。

僕が最近感じていたことを、部分的にではあるが、的確に言い表した言葉の話をしたい。「低学歴の世界」という言葉について、話そうと思う。

 

高校まで、僕は小中高一貫校に通っていた。小学校1年生で入学して、高校を卒業するまで、同じ学校にずっと通っていた。中学、高校で受験して入ってくる人たちもいるので、クラスメイトの2割程度が、小学校来の知り合いであった。そして、自分たちが進学校の生徒であるというプライドを、多かれ少なかれ持っていた。

このような環境の彼らには、共通した特徴があった。

  • 家に金がある。祖父母からの援助も手厚い。私立の学校に通っているのだからそれはむしろ必要条件だろう。親が医者の家庭も多く、その子供はみんな医学部へ行く。
  • 習い事の経験がある。ピアノ、水泳、そろばん、スポーツチーム、多種多様な習い事を多少は経験しており、どんな趣味でもある程度の素養がある。
  • 高3になると、とりあえず東大志望。学年の7割は、東大、京大、一橋、東工大、国公立医学部のどれかを志望する。残り2割は早慶。MARCHに行きたいと思っている人は、冗談抜きに一人もいない。
  • 面白ければそれでいい、という考え方。何かの価値判断、優先順位の基準になるのは、「面白いかどうか」である。ここでいう面白いという言葉は、「誰もやらなそう」「知的好奇心を刺激される」「笑いをとれる」という条件を満たすものが当てはまる。

さて、このような価値基準は、おそらく進学校出身の人なら一定の共感をしてくれるだろう。その価値基準のまま、彼らは大学へ行くのである。その進学先によって、次のような反応が起こる。

  • Aランク(東京一工、七帝大、医学部)に進むと、同じような出自の人たちが多く、すぐに仲良くなる。同じような趣味の人も見つけやすい。ただし、自分より遥かに頭のいい人たちが大量にいることを目の当たりにする。
  • Bランク(早慶)に進むと、さらに上のエリート層の存在を知る。すなわち、何の苦労もせずに内部進学で早慶に来る層。生まれた時から勝ち組、という本物を知る。
  • Cランク(上理、GMARCH、中堅国公立)に進むと、周りの人間のつまらなさに絶望する。話は合わないし、冗談はつまらなく、人間的に面白いと思えるような人があまりいない。

そして、僕は3番目、いわゆるCランクの大学に進んだ層である。人間的につまらない人しかいない、というのは実感である。しかし、このランクの大学に来たことで、分かったことがあるのだ。

それが、「非進学校の世界」である。

大学で、いろんな人と話して、驚いたことがあった。彼らは、自分たちの高校ではトップ層にいたのだ。つまり、高校のトップが、Cランク大学にしか受からないのである。

これは、本当にカルチャーショックだった。自分たちにとって、滑り止めでしかないようなCランク大学に、頑張って入った層を目の当たりにしたのだ。

しかし、この認識ですら甘かったことに気づかされたのは、塾講師のバイトを始めてからだ。そこは、街の個人経営塾で、近所の中高生が通う塾だった。

第一志望が日大の受験生がいた。分数の計算を間違える中3がいた。ローマ字の読めない中1がいた。問題集を使った勉強が全くできない高校生が大量にいた。

このとき、僕はようやく自分の足元の何十万人という存在に気づいた。日本のセンター試験受験者数は50万人。同学年は100万人。MARCH以上の大学に受かるのは、学年でたったの上位10%程度である。のこりのセンター受験者約40万人が、初めて可視化された瞬間だった。

【保存版】同世代における高学歴の割合は◯% | Drinavi.com

実際の数字は、この記事に詳しい。

 

大学に入って、僕は初めて「非進学校の世界」を目の当たりにした。そして、大学の友人からこんな話を聞くようになる。

「小学校の友達で結婚した奴がいる」

「中学のクラスメイトの女子に子供がいるのを同窓会で知った」

「同級生はほぼ大学に行っていない」

 

僕は、うすうす感じていたのだ。大雑把な計算で、同学年100万人のうち、「進学校の世界」に10万。「非進学校の世界」に40万。

なあ、あとの50万人は、どこにいるんだ?

 

大学に入って、自分が今まで関わってこなかった層があるということを知った。Aランク大学に行っていたら、ずっと不可視のままである層である。そして、自分にも、いまだ不可視の層があると、うすうす感じていた。

最近読んだとある記事によって、残り50万人の層の実態を知った。そして、その記事の中にあった表現で、その感覚に呪がかけられた。その概念には、「世界」という名前がついた。

 

「底辺校」出身の田舎者が、東大に入って絶望した理由(阿部 幸大) | 現代ビジネス | 講談社(1/4)

https://anond.hatelabo.jp/20130809115823

高学歴の世界からみた低学歴 - とある京大生の

 

今までずっと仲良くしてきた、高学歴の同級生。大手に就職し、エリートが約束されている、旧友たち。

大学に入るまで見えなかった、MARCHを第一志望にする高校生。自分一人では問題集も満足に進められない、バイト先の生徒たち。

友人が話す、大学に行っていない小中の同級生たち。センター試験を受けない、いまだ不可視の、50万人の同学年。

 

自分が今まで見えなかったもの、まだ見えないもの、そういった層そのものが、「世界」と表現された。

進学校の世界」にいる、「生まれた時から勝ち」層や、この記事にあるような、「低学歴の世界」にいる、「文化格差に自覚的」な層などと、細かく世界を分類すればキリがない。だから、僕が定義する世界は、大学に入る前に見えていた世界、入ってから見えた世界、そして見えていないと分かった世界の3つだ。とりあえずは。

 

進学校の世界」、「非進学校の世界」、「低学歴の世界」——僕にいま認知できる世界はこの3つで、最後の世界はいまだ見えない。

 

 

 

 

 

 

 

 

「安田純平さん解放」のニュースが移ろい収束した

いまTwitterを騒がせているニュースは、なんといってもこちらである。

 

www.bbc.com

解放の一報が入った10/24時点では、それほど大きな話題ではなかった。しかし、だんだんと「自己責任論」への批判ツイートが回ってきた。

ツイートこそ人目を惹く文章であるが、「自己責任で片付けようとしてくる連中」というのが実際にどれほどいるのかは分からない。もしかしたらいつものような藁人形論法かもしれない。

また、このような「海外の反応」系のツイートもRTを多く稼いだ。

「自己責任論」を唱える人々に対して賛否両論が起こり始めた。テレビでも著名人がコメントしだして、どう収束するのか興味深く見守っていた。すると、11/2に、氏による記者会見が開かれることになったのだった。

記者会見では、監禁の内容が想像と違ったため、Twitterでの議論が増加・複雑化してTLを埋め尽くした。

 

さて、ここまでの文章は11月の頭に書いていたものだ。話題がホットな時期に記事を書いてupすれば、誰かの目に留まるんじゃね?と安易に考えたのだ。

今は11月29日である。

続きを書こうという気にならず、溜め込んで数日でこの話題が去ってしまって、もうノートに挟まった消しカスみたいに、ずっと放置してしまったのだ。

ここまで書いた、存在している文章への供養のために。結論がなくても、結末が途切れても、編んでしまったのだから、上げてしまおう。

下書きボックスに溜め込むくらいなら、インターネットの海に灰を撒いてしまおう。

不完全燃焼の結果としての灰燼みたいな文章を、僕は公開してしまう。

 

 

 

 

 

大学の勉強を役に立たせる方法

これから書くことは、ただのアイデアなのだが、もしやる気があればやってみたい。

 

大学の勉強をやっていて、これは果たして役に立つのだろうか、と思うことがある。内容が基礎的過ぎて、先にあるはずの現在の技術が見えないからだ。もちろん、先に何かの技術があることは知っているが、それだけで勉強のモチベーションになるわけではない。

そこで、モチベーションのために、理解した計算問題を自動で解くプログラムを書いて、自分のサイトに載せる、というのが思いついたことだ。

例えば、微分の分野である解法が分かったとしよう。そうしたら、その数値を変えた問題が解けるように自分でプログラムを作って公開する。もしその問題が解けない人がいたら、その参考になるかもしれない。

これは、授業中に距離のことをやっているときに思いついた。距離といっても、ユークリッド距離、ハミング距離、レーベンシュタイン距離などいろいろある。レーベンシュタイン距離とは、文字列Aから文字列Bまで何回の操作で到達するかを表す。

いまさら編集距離 (Levenshtein Distance) を実装するぜ | takuti.me

このように、レーベンシュタイン距離のコードについて技術的なことを書いた記事はけっこうある。しかし、「二つの文字列のレーベンシュタイン距離を計算する」だけのサイトは見つからなかった。見つからなかったので、自分で作ってみたいと思ったのがこの話題の発端である。

もしやろうと思ったとして、まずつまずきそうなのは、どうやってサイト上で計算するのかということだ。例えば、pythonでレーベンシュタイン距離を計算するプログラムを書いたとして、どうやってサイト上にその結果を表示するのだろうか?サーバー内でコンパイルでもするのだろうか?

日本語で「web上 python」などと調べてみたが、あまりピンとくる答えは見つからなかった。

Python公式のこんなページがあった。

Python を Web 上で使うには HOWTO — Python 3.3.6 ドキュメント

CGI(Common Gateway Interface)というのが鍵になっていそうだ。

他には、以下のように、djangoというフレームワークが必要なようだ。

PythonのWebアプリケーション(Django)を初心者にもわかりやすく解説(1)【環境構築編】 - Qiita

 

若干話がそれてしまった。とにかく、ウェブ上で計算をしてくれるサイトを作れば、勉強のモチベーションになるんじゃね?でも難しそうだな…という内容である。ほんの思い付きだけどね。

 

書きたいことはあるけれど…

台風24号が去って、ブログを書く気力も一緒に去ってしまったかのような、久々の更新である。前回が9月30日だったから、一ヶ月くらい間が空いてしまったことになる。とりあえず、この一ヶ月何をしていたか言い訳をしていく。

 

まず、台風が過ぎた直後から、大学が始まった。これがほとんどすべての理由を占めているわけだが。時間割が新しくなり、大学3年後期が始まった。ここで単位を落とすと、4年生になれない可能性もあり、この半年は卒業の賭かった起床チャレンジが続くことになる。

 

大学が始まったのと同時に部活も始まり、ブログを書くためのHPとMPが残らなくなった。うちの剣道部は10月が代替わりの時期で、ついに最高学年となった。それで急にMP消費が増えて、さらに練習自体もきつくなって、HP消費も増えた。結果、ブログという能動的な仕事をする余裕がなくなった。

 

では、少し時間のあるときに何をしているのかというと、VRである。


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9月に、HTCviveを買った。時間のあるときはこれをやっているのだ。特に、VRChatに潜って、いろいろチャットを楽しんでいる。VRをやり始めてしまうと、HMDの着けすぎで疲れてくるまで3時間くらい、ずっとやり続けてしまう。ブログなど書くための時間が余っていないのも当然である。

 

つまり、大学が始まって、部活も始まって、疲れたからVRをやっていたら、記事を書く暇がなくなったということになる。よくあるような多忙だ。

 

ブログを書く時間と気力がなくても、世の中は回り続けている。この一ヶ月にも、いろいろなことがあった。秋アニメが始まったり、キズナアイを批判した人が炎上したり、侍エンジニア塾が小炎上したり。キズナアイの話題など、台風が過ぎてから二週間くらいずっとインターネットで燃え続けていた。こういうことも記事に書いてみたかった。もう下火になったし、議論は出尽くしたから、書くことはないだろう。

 

今やっていることでも、記事になりそうな話題はある。料理のことだとか、VRChat、HTCviveのこと、読んだ本についてなど。しかし、これを書く日はいつになるのか、果たして自分でも分からない。やはり、物を書くというのは時間がかかる行為なのだなあと実感している。一日一記事とかそういうノルマを設定して練習を積んでいけば、早くなるかもしれない。西尾維新は一日2万文字の原稿を書くという。ちなみにこれは西尾維新大辞展で知った。だから、一日一時間で1000文字のブログ記事を書くことも、それに比べれば、という思いはある。

執筆速度はいつか速くなることを信じて、これからは多めに記事を書いていくかもしれない。